2015.05.31 (Sun)
これも懐かしいデザインです
私のデザインの中でエポックメーキングな仕事の一つにナショナルエオリアCS-P181G/CS-P221Gがあります。


私は1989年の発売の年にアメリカから帰国してプロイドを立ち上げました。確か松下のOBPツインタワービル一階アトリウムの私がデザインしたアストロビジョンの前で、上のエオリアの二代目キャンペーンガール(確かギリシャの子で16才)の撮影風景に出くわしました。26年前ですからギリシャの子は今42才です。
もっと綺麗なCM写真があったのですが、見つかったら差し替えます。今で言うミニマルなデザインで、細長くて横スリットのバランスがモダンインテリアに良く合いました。

ナショナルエオリアCS-P181G/CS-P221G
1987年春に松下電器の草津のエアコン事業部のデザイン室の伊藤室長(当時)と商品企画メンバーに呼び出されて依頼されたのが「一家に3台目のエアコン」プロジェクトでした。その時すでにリビングと夫婦の寝室にはエアコンがありましたが、子供部屋にはまだこれからという時代でした。
ようやくエアコンが漢字の名前からカタカナへ、木目調からシルバーや白基調に変わろうとしていた年です。平均的なエアコンのサイズは高さ360㍉幅790㍉奥行150㍉でした。
右側面部分の拡大です。1989年の4月デビューですから、もう26年前のデザインですがそんな古さは感じません。

私達プロジェクトメンバーには一つの仮説が思い浮かびます。大手のプレハブ住宅の二階の天井と窓の間は300㍉前後だから従来のエアコンでは窓に60㍉はみ出るし、木造の壁構造に間柱が910㍉ピッチ(455×2)で入っている木軸に、幅790㍉幅のエアコンを固定するには150㍉以上の持ち出し金物がいる。これを解決するには、細長いエアコンをつくれば良いというものです。
1989年のグッドデザイン賞を受賞しています。
受賞者はエアコンのデザイン室となっています。今も一部にそんな習慣が残っているようですが、当時は外部デザイン受託者の名前は、一部のメーカー(私の記憶では松下電工・ソニー・ヤマハ)を除いては出してはもらえないない時代でした。




手分けしてコンセプト立案→仮説検証→デザイン提案→原寸スケッチとラフ機構レイアウトまでまとめて提出しました。後日「一家に3台目のエアコン」は事業部長プレゼンで、あっけなく否決されてしまいます。理由は「高さを140㍉下げて220㍉にするのに工場ラインの変更だけで一体なんぼかかると思ってんねん!アホかぁ!!」でした。後日、担当のエアコンの伊藤デザイン部長から80億円近い投資金額が必要との話を聞きましたがその位は当然と思ってただけにとても残念でした。
そして、翌1988年は記録的な冷夏になります。量販店でエアコンは在庫の山となり、1989年の新型エアコンには従来にない新しい視点が求められます。私達の立案した細長エアコンが急遽浮上して、突貫で1989年春発売に間に合わせます。
原寸スケッチ通りのバランスでデビューしてくれました。結局、私はスケッチまでしか描いていませんから、私のデザイン意図を丁寧にくみ取って製品意匠図をエアコン事業部のデザイナーの誰かが書いてくれた訳で、今となってはその方に感謝しています。

その後はご存じの通りで、世の中のエアコンは細長だらけで、日立はレスラーのハルクホーガンに「細長ァ~~!!」と言わせました。この新しい姿に気づいて自らの手で世の中に送り出せた事はプロダクトデザイナーとして幸せな事です。
その時代のナショナルのエオリアのCMを徳永英明の歌にのせてどうぞ。
その時のプロジェクトメンバーで、最初の仮説立案から仮説検証原寸スケッチまで一緒に苦労してくれた近藤昌士さん(元:パーソンズ常務取締役、現:近藤商店代表)にこの場を借りて改めてお礼を申し上げます。
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私は1989年の発売の年にアメリカから帰国してプロイドを立ち上げました。確か松下のOBPツインタワービル一階アトリウムの私がデザインしたアストロビジョンの前で、上のエオリアの二代目キャンペーンガール(確かギリシャの子で16才)の撮影風景に出くわしました。26年前ですからギリシャの子は今42才です。
もっと綺麗なCM写真があったのですが、見つかったら差し替えます。今で言うミニマルなデザインで、細長くて横スリットのバランスがモダンインテリアに良く合いました。

ナショナルエオリアCS-P181G/CS-P221G
1987年春に松下電器の草津のエアコン事業部のデザイン室の伊藤室長(当時)と商品企画メンバーに呼び出されて依頼されたのが「一家に3台目のエアコン」プロジェクトでした。その時すでにリビングと夫婦の寝室にはエアコンがありましたが、子供部屋にはまだこれからという時代でした。
ようやくエアコンが漢字の名前からカタカナへ、木目調からシルバーや白基調に変わろうとしていた年です。平均的なエアコンのサイズは高さ360㍉幅790㍉奥行150㍉でした。
右側面部分の拡大です。1989年の4月デビューですから、もう26年前のデザインですがそんな古さは感じません。

私達プロジェクトメンバーには一つの仮説が思い浮かびます。大手のプレハブ住宅の二階の天井と窓の間は300㍉前後だから従来のエアコンでは窓に60㍉はみ出るし、木造の壁構造に間柱が910㍉ピッチ(455×2)で入っている木軸に、幅790㍉幅のエアコンを固定するには150㍉以上の持ち出し金物がいる。これを解決するには、細長いエアコンをつくれば良いというものです。
1989年のグッドデザイン賞を受賞しています。
受賞者はエアコンのデザイン室となっています。今も一部にそんな習慣が残っているようですが、当時は外部デザイン受託者の名前は、一部のメーカー(私の記憶では松下電工・ソニー・ヤマハ)を除いては出してはもらえないない時代でした。




手分けしてコンセプト立案→仮説検証→デザイン提案→原寸スケッチとラフ機構レイアウトまでまとめて提出しました。後日「一家に3台目のエアコン」は事業部長プレゼンで、あっけなく否決されてしまいます。理由は「高さを140㍉下げて220㍉にするのに工場ラインの変更だけで一体なんぼかかると思ってんねん!アホかぁ!!」でした。後日、担当のエアコンの伊藤デザイン部長から80億円近い投資金額が必要との話を聞きましたがその位は当然と思ってただけにとても残念でした。
そして、翌1988年は記録的な冷夏になります。量販店でエアコンは在庫の山となり、1989年の新型エアコンには従来にない新しい視点が求められます。私達の立案した細長エアコンが急遽浮上して、突貫で1989年春発売に間に合わせます。
原寸スケッチ通りのバランスでデビューしてくれました。結局、私はスケッチまでしか描いていませんから、私のデザイン意図を丁寧にくみ取って製品意匠図をエアコン事業部のデザイナーの誰かが書いてくれた訳で、今となってはその方に感謝しています。

その後はご存じの通りで、世の中のエアコンは細長だらけで、日立はレスラーのハルクホーガンに「細長ァ~~!!」と言わせました。この新しい姿に気づいて自らの手で世の中に送り出せた事はプロダクトデザイナーとして幸せな事です。
その時代のナショナルのエオリアのCMを徳永英明の歌にのせてどうぞ。
その時のプロジェクトメンバーで、最初の仮説立案から仮説検証原寸スケッチまで一緒に苦労してくれた近藤昌士さん(元:パーソンズ常務取締役、現:近藤商店代表)にこの場を借りて改めてお礼を申し上げます。
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このエアコン付いてます。リモコン無くしてしまって、、、、でも 現役です。
Santi |
2016.07.18(月) 22:00 | URL |
【編集】
デザウマを書いている中禰nakaneです。情報をありがとうございます。25年以上は動いているという事ですね。プロダクトデザイナーとしてはうれしい限りです。
けんさん |
2016.07.19(火) 18:22 | URL |
【編集】
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